小千谷織物の歴史

布の歴史

【小千谷縮布の展開】

 魚沼地方では古くから、農村地域で自給用の麻布が織られ、人々の日常の衣服として重要な役割を果たしてきた。この時期の麻布は雪深い魚沼農村の女子が自家栽培の麻から麻糸をとり、冬の副業として「いざり機」で織ったもので、それは「自給的農村手工業」の生産形態であった。その後、堀次郎が小千谷に新しい機織りの技法を伝えたことによって、従来の麻布は縮布へと展開した。

 この縮布は急速に、小千谷を中心として魚沼や頚城地方の農村地域に広がり、自給的農村手工業から商品としての縮布へと発展していった。越後における縮布の全盛期は天明年間(1781~1788)で、小千谷を含む越後全域では20万反の生産があったとされている。

 近世来、魚沼地方にも絹織物が次第に浸透し、縮布の技法を生かした蝉の羽根のような絹織物である「透綾織」がさかんになり、縮布は次第に生産が減少してきたが、小千谷は依然として縮布の伝統を守り、絹織物の導入には消極的であった。

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