小千谷織物の歴史

始祖 堀次郎将俊

【小千谷縮に生涯をかけた堀次郎将俊】

 寛文年間、播麿明石藩士だった堀次郎将俊は浪人として小千谷地内山谷の庄屋西牧彦治工門宅に身を寄せ、近隣の人に読み書きを教えていた。そんなある日、この地方で織られている越後麻布に着目し、夏の衣料として改良することを思いついた。苦心の末、緯糸に強撚をかけて布を織り上げ、仕上げの工程で布に涼味を感じさせるシボを出す技法に成功した。

 また、これまでの白布に縞や花紋などの模様を織り出すことにも成功し、従来の越後麻布に革命的な成果をもたらした。堀次郎将俊はこの小千谷縮の製法を惜しみ無く公開伝授し、各生産地の産量は急激に増加した。

小千谷村の記録では、天和元年(1681)には2,517反だったのが、翌年には5,062反になったほど。縮取引も活発になり、問屋制度も確立した。このように、堀次郎将俊は画期的な技術を完成させたばかりか、越後の産業に革命的な成果をもたらした。そして、小千谷縮の始祖堀次郎将俊は、61歳でその生涯を閉じた。

 没後、縮関係の人達が彼の業績を称え極楽寺院内に寛永元年(1848)に明石堂を再建し、堀夫婦が静かに眠っている。

小千谷縮布の始祖、堀次郎将俊(通商・明石次郎)を祀った明石堂
小千谷縮布の始祖、堀次郎将俊(通商・明石次郎)を祀った明石堂
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